【芸能】「成人式に出席したら、誰も話しかけてこなかった」元AV女優・小室友里(46)が語る、20代の頃に感じた“身バレのキツさ”
「AV女優には芸がない。芸能人じゃない」と社長に言われ…元AV女優・小室友里(46)が語る、90年代AV業界の“厳しかった現実” から続く
1996年にデビューし、総売上枚数100万超を誇った元AV女優・小室友里(46)。
現在はセックスレスや男女のコミュニケーションを専門としたセクシャルアドバイザーとして講演などをするほか、タレント業も行っている。
そんな彼女に、身バレした際の辛い思い出、人気女優でありながらも抱いていた将来への不安、セカンドキャリアに向けて進めていた準備などについて、話を聞いた。 (全3回の3回目/1回目を読む)
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チラッチラッと見るだけ…誰も話しかけてこない成人式
ーーAV女優とバレの問題についてもお聞かせください。小室さんの時代は、ネットも現在ほど浸透していませんでしたし、それこそSNSなんて皆無状態でしたが、どういった形でバレてしまっていたのでしょうか?
小室友里(以下、小室) 雑誌ですね。「デラべっぴん」「アップル通信」「ビデオ・ザ・ワールド」とかあったじゃないですか。それを男の子たちが読んで騒ぎ出す、という。人気のある子はポスターになって、レンタルビデオ店にも貼られますし。
ーー小室さんも、けっこう早めにバレたほうですか。
小室 早かったですね。すでにグラビアモデルをやっている時からバレてました。普通にパブリシティ全開でいっていたので。
ーーグラビアでのバレとAVでのバレに反応の違いは。
小室 振り返ると、違っていましたね。AVの時は、モーセの十戒のように、サーッと人が離れていった感じはありました。私のほうからも、距離を置きたい気持ちが生まれた感じもあったし。
「アッ」と思ったのが、成人式。AVデビューしたのが96年の1月なんですが、成人式もその1月で。見事なまでに、誰も話しかけてこなかったですね。みんながチラッチラッと遠巻きに見てるんです。
かなりキツくて、10分で帰りました。一応親の手前、着物も着たし、車で送ってもらったのもあったんですけど、いるにいられなくて。すぐにタクシーで帰りました。
ーーそうなると、現場の方たちといるとホッとしますよね。当然、そこには偏見なんてないでしょうし。昔のインタビューを読むと、けっこう飲みに行かれていたようですが、ご一緒だったのは現場の方たちでしょうか?
小室 そこに行くと仲間たちがいた、みたいな。男優さんやスタッフさんのたまり場になっている店があって、そこだと安心してみんなと話せるという。飲みに行っていたというよりも、安心を買いに行っていたという感じです。仲間たちと話せる安心。
「電車に乗っていて、声をかけられたらどうしよう」とか「街中ですれ違った人に、後ろ指さされるんじゃないか」といった勝手な思い込みもあったんですよ。実際、地元を歩いていたら「一発やらせて!」って叫ばれたこともあって、怖いなと思っていて。そうなると、仕事の仲間と遊んだり、会ったりしたほうがいいなって。
ーーこちらも昔のインタビューで読んだのですが、ご家族にAV出演がバレたのは恋人との婚約破談を両親に話しているうちに、カミングアウトしてしまったからだそうですね。
小室 もう勢い余って。言うつもりは全然なかったんですけど。両親は最初、そもそも私が話していることが理解できていなかったみたいです。うちの家庭ってエンタテインメントにほとんど触れてこない家庭環境だったので。映像文化みたいなものがわからないんですよ。
「AVってなんだ?」「ピンク映画とは違うのか?」「そういえば、ブルーフィルムってあったよな?」とか、そこから遡ってのスタート。で、延々と説明して、ようやく父親がハッとなるみたいな。
ーーその後、家族間の空気が悪くなったりは?
小室 かなりギクシャクしましたよ。でも、私はけっこう体育会系なところがあるので、このまま逃げてもしょうがない、みたいに思って。
めげずにちょこちょこ実家に帰ってたら、そのうちなんとなく元の感じに戻りました。
ギチギチのスケジュールを見て、「これがなくなったら怖いな」
ーー1999年に引退されましたが、次のキャリアみたいなものを考え出したタイミングは憶えてらっしゃいますか?
小室 AV女優を始めて、2年目の97年。22歳あたりで、漠然と「次のステップをどうしよう、なにをやろう」と考え出しました。
ちょうどその頃、デビューから丸2年も作品を出してくれていたメーカーさんの専属を離れて、フリーになるタイミングだったんですよ。「長くできる商売じゃないよ」と社長からずっと言われていたのもあって、AV女優としてのキャリアの終わりが見え始めた時期でした。
それ以前から、不安はあって。事務所のスケジュールボードに、撮影やらイベントやら、スケジュールがぎっちり書いてありましたけど、「これがいつかなくなったら怖いな」っていう。
ーー当時の人気ぶりを考えると、不安を抱いていたのは意外な感じもします。
小室 自分に人気があるのかどうかって、意外と当人ははっきりわからないんですよ。いまみたいに数字できっちり出るわけでもないし。サイン会にお客様がいっぱい来てくれるかどうかでしか、判断できないところがありましたしね。
ーーとりあえず「長くできる商売じゃないよ」という社長の言葉は、時限アラートとして機能していたのは間違いなさそうですね。
小室 「次も考えとけよ」とまで言ってくれてたので、そういう意味では恵まれていますよね。次を考えなきゃという視点で、いろんなものを見るようになっていたから、たとえば取材を受けたらライターさんを見たりとか、現場でもメイクさんや制作さんを見たり。「私は次、なにをやりたいんだろう」ということを考えながら仕事に行くという。
ーー当時、AV女優のセカンドキャリアはどういったものがメインでしたか?
小室 一番多かったのがストリッパー。で、風俗、水商売かな。ぜんぜん違うお仕事を始める方もいらっしゃいましたけど、たいていはバレていましたね。
名前が出すぎていて、「絶対バレるだろうな」と
ーーそうしたなかで、小室さんはライターやメイクさんなど、違う方向に目を向けていた。
小室 これもいま思えばなんですけど、小室友里という名前の大きさというのをなんとなくわかってはいたんだと思います。街中で声を掛けられたりとか、雑誌の表紙に名前が大きめに載っていたりとか。
そういうのもあって、どっちにせよ名前を隠しきれないだろうなって。隠すことができないのなら、うまく使えるほうに進んだほうがいいんじゃないかと思ったんです。
ーー現在はAV引退後も、AVで得た知名度を使う方は多い気がしますが、当時はそうではなかった?
小室 みんな、いかに隠すかという方向だったので。それが可能な時代でもあったし。そのなかでも、私は名前が大きく出過ぎて無理だよな、という感じでした。
ーーご自身としては、一般映画や舞台の方面へ進みたいという想いがあったんですよね。実際、そうされていますし。
小室 はい。とはいえ、お金のことも不安じゃないですか。なので、執筆とかライター業もやれたらなと考えていて。それはAVを始めて2年目で念頭に置いていて、その土台作りとして現役の時にコラムをやらせていただきました。それがきっかけで、いろいろ書くようになって、執筆業だけで月30万円ぐらいいただけていました。
ーー執筆業だけで月30万円というのは、なかなかのことですよね。
小室 はい、そうなんです(笑)。「贅沢しなかったら、月30万円って普通に暮らせるじゃん」って思って。
執筆業を始めて1年半くらいは下積みというか、土台を作ることができたので。知り合いの先輩ライターについて取材を回ったりもして。ほんと、下準備をしておくのはうまかったですね(笑)。
ーーAVデビューして2年目ですから、22歳とかのお話ですよね。自分がその若さの時、そこまで先のことを考えていたかなと。
小室 もともと根回し上手だったのもあるし、「ずっとできる仕事じゃないから、次も考えとけよ」という社長の言葉も大きかったし。
あと、実際に長くやっていけなかった女優さんを見ていて、いつか自分もそうなる存在なんだと、どこかで悟っていたと思います。それで、自分から進んで繋いでいかないとダメかもしれないと動いていたんでしょうね。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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